4月16日は「チャップリンデー」に定められています。
『キッド』『黄金狂時代』『モダン・タイムス』『ライムライト』などの傑作を制作した天才俳優でした。
今では歴史上の人物である、喜劇王チャールズ・チャップリン。
そのチャップリンについてのトリビアをお知らせします。
チャップリンの時代の映画
映画と言うと,映画の映像と音声が同期していて当然ですが,昔は音声トラックが映像と一緒に存在しているわけではありませんでした。
その時代の映画は無声映画,または「サイレント映画」(それに対して映像に音声が同期した映画を「トーキー映画」ともいう場合があります)と呼ばれています。
そうした映画では,物語はパントマイム演技と映像の中に印字された文章を撮影したコマが挿入されたもので進められていました。
観客は映像と表示される文章を読みながら物語についていかなければならなかったのです。
日本では弁士が劇場の前の方やスクリーンの横にいて物語を語っていき,劇場の前の方に映画を盛り上げるオーケストラがいて,音楽を演奏していたのです。
チャップリンはサイレント映画時代から人気を博していました。
彼の演技力はサイレント映画によく合ったものだと評価されていましたが,音声のある映画では,そのセリフ回しにも味があり,サイレントと比較しても全く遜色(そんしょく)のない俳優でした。
チャップリンの遺体誘拐事件
どんな事件か?
彼は1977年12月に亡くなりましたが、それから2ヶ月あまり後、身代金目的の男たちによってその遺体は棺ごと盗まれてしまいました。
チャップリンは世界中に知られていたスターでしたので、この遺体盗難事件は国際的な犯行かも,ということで大掛かりな捜査を行おうとしていた矢先、あっさりと犯人は逮捕されました。
チャップリン遺体盗難事件はお金に困った二人の男たちによる犯行でした。
どのように進展したか?
彼らが身代金をチャップリンの奥さんに要求したところ、彼らにとっては意外なことに、きっぱりと断られてしまいました。
チャップリンの奥さんに身代金を払うことを断られた犯人たちは、コリもせずにもう一度脅迫電話をかけようとしました。
ところが、電話ボックスを監視していた地元の警察に捕まってしまったのです。
その結末は?
犯人のお粗末さは極まっていて、自分たちが盗んだチャップリンの遺体の隠し場所を忘れてしまっていたのです。
その後2ヶ月ほど経った頃に、墓地から17キロほど離れた場所でそれは発見されました。
チャップリンの棺の隠し場所は、レマン湖畔のとうもろこし畑でした。
そこに放置された状態で発見されたのです。
世界的大スターの遺体だからもっと大切に扱うべき所、本当にお粗末な話です。
それが映画化された!
このチャップリン遺体盗難事件、もしチャップリンがこんな話を生前に聞いていたら、傑作な喜劇にしていたかも知れませんね。
2014年、この顛末をヒントに映画「チャップリンからの贈りもの」が制作されました。
映画にもされるようなネタではあったんですが,遺体を不敬に扱うことはあまり感心できません。
でも,ある人たちの間で,この映画は人気を得ました。
チャップリンは日本びいきだった
チャップリンのマネージャーは日本人だった!
チャップリンはとても忙しい人でしたので,車で移動することを早くから始めていました。
その運転手を募集した所,日本人の高野虎市(こうのとらいち)氏が応募してきました。
チャップリンは彼を気に入り,すぐに採用しました。
高野氏は運転手としてチャップリンに仕えていましたが,まじめで優秀なその人格にチャップリンは感心し,車の運転以外にも,身の回りの世話を彼に任せるようになりました。
その後高野氏は,チャップリンのマネージャーとしてチャップリンを支えるようになりました。
チャップリンは高野氏をいたく気に入り,ある時は映画に運転手役として起用したりもしていました(「冒険」と言う映画です)。
高野氏は優秀な人であるだけではなく高潔な人だったようで,チャップリンの奥さんに浪費癖があることが我慢できなかったのか,そのことを指摘したところ,チャップリンはこれを気に入らず,18年間チャップリンに仕えていた彼を解雇してしまいました。
ちょっと残念です。
チャップリンの日本びいきは命を救う
チャップリンは,高野氏のこともあったのか,とても日本が好きで,時々日本を訪れていました。
日本で日本文化を楽しむのが好きだったようです。
相撲を楽しんでいたある日,それは何と1932年(昭和7年)5月15日のことでした。
それは,武装した陸海軍の青年将校たちが内閣総理大臣官邸に乱入し、内閣総理大臣犬養毅を殺害するという,いわゆる五・一五事件が起こった日でした。
チャップリンはその日,犬養毅総理大臣と面会する予定だったところ,それをキャンセルして相撲を観戦しに行ったため,犬養毅と一緒に暗殺しようとしていた将校たちの思惑は達成されなかったのです。
相撲観戦しようと考えたとは,なんとも奇遇な成り行きだったんですね。
チャップリンのその他の日本びいき
その他にも,チャップリンの日本びいきの話があります。
チャップリンのトレードマークは山高帽とステッキでした。
そのステッキは竹根(ちくこん)を使って作られる日本製で,チャップリンはそれを気に入り,いつもそれを使用していたようです。
チャップリンのまとめ
4月16日は「チャップリンデー」とされています。
チャップリンの生誕の日が記念日に制定されたようです。
19世紀生まれで20世紀に活躍した人が,今でも記念日を制定されて思い出されているという話はそんなにはありません。
もう歴史上の人とは言え,その日に芸能関係の人が,チャップリンとはどんな人だったのか,どのように演劇をとらえまたどんなことを現代の人たちに伝えてくれたのかなど,考えてみるのは良いことかもしれません。
チャップリンがそんなに偉大な人だったので,亡くなった後にもその遺体を人質にしてお金を儲けようとした人もいたというのは驚きですね。
全く成功はしないたくらみだったのですが,それも映画化されるというのは,チャップリンがいかに偉大な人だったのかを知ることができます。
そして,第2次世界大戦のずっと前からチャップリンが日本びいきだったというのは,日本人としてはなんとなくうれしいことですね。
最近も色んなプチカルチャーが日本ブームを世界で起こし,日本を愛してくれる人が増えていますが,チャップリンは100年以上も前から日本文化を愛してくれていたのです。
そのように愛してくれる人を少しでも増やしていきたいものです。
